つづく日々を奏でる人へ

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コミケ100行ってきたよ記事

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行ってきたよ、コミケ100!!!!!!

そういう訳で行ってきました。行ってきちゃいました。自分がアイマスの歌詞の中でも特に好きな「夢を初めて願って 今日までどのくらい経ったのだろう」という言葉を借りるのなら、この日、この瞬間をどれだけ待ち望んだことか。参加を決めたのはここ数ヶ月のことですが、その思いには年単位の密度があったと思います。

 

振り返れば2018年、コミックマーケット94。

友人と共に人生初のコミケに参加してから、丸4年の月日が経過しようとしていました。この4年間に自分と、そして世界を取り巻く環境は大きく変容し、この世に生きる全ての人々が変化の先にある進化を求められることとなりました。

物理的な距離の確保。マスクを介した会話。新たな世界に即したマナー。それらに伴う弊害と混乱。そうした諸々を受け入れ、踏破しようという今、日本が世界に誇る同人文化の祭典が再び幕を開けようとしている。これに個人差はあれど、心躍らないオタクはいないはずです。

かくいう自分も例外ではなく、かつてない苦境を乗り越えた先で記念すべき100度目の開催を控えたお祭りの存在に、人知れずそわそわしていました。行きたい。行ってみたい。4年前に一度経験したあの熱気を、否。それ以上の熱狂に飛び込んでみたい。

そんな中。

 


あるひとりのイラストレーターさんがコミケ100への参加を表明されました。

それは、自分が愛するスマホゲームで、自分が想い続けたキャラクターのデザインを担当された方でした。

ゲームの名前はFate/Grand Order、キャラクターの名前は徐福、イラストレーターさんのお名前はTAKOLEGS(えんど)さん。

一部の方はご存知のように、徐福はFGO内で2年前に期間限定イベントの黒幕として登場したNPC

当初立ち絵すら用意されていなかった彼女は、運営サイドの何気ない提案からTAKOLEGS先生のもとへデザインの依頼が届き、結果、氏が描かれたビジュアルも相まってユーザー間で人気が爆発。NPCでありながら「誰もが実装を望む黒幕」になったという、特殊な経歴を持つキャラでもあります。

彼女はその後、ユーザーからの声援を受けるようにゲーム内の要所要所で出番を獲得。今年の3月にはTAKOLEGS先生による新たな立ち絵と豪華なボイスを引っ提げ、見事再登場を果たすのでした。

そして7月末。7周年記念生放送内で明かされた新規サーヴァントの一角として遂に正式に実装。最初は立ち絵すら存在しなかった徐福は2年の時を経て、晴れてこの世に顕現したのでした。

 

FGOはシナリオが主体のゲームです。奈須きのこ先生をはじめとする作家陣が綴る、豊かなテキストなしにこのゲームは成立し得ません。

しかし一方で、文章に重きを置きながら、デザインの魅力が時にキャラクターを「運営が想定していた反応の向こう側へ連れていく」事例が発生します。文章の達人と絵のスペシャリスト。これらが混ざり合うことで生じる化学反応。

徐福は、FGOの中でもその化学反応を最も体現するキャラクターと言っても過言ではありません。一度きりの黒幕で終わるはずだった彼女がTAKOLEGS先生の筆致によって更に先の魅力へと到達し、果ては周年サーヴァントの仲間入りをも果たした。本作の長い歴史で見ても相当に特殊なケースです。

 

自分は徐福に初めて出会った2年前から、彼女を想い続けてきました。それはひとえにテキストから伝わる彼女の憎めない人柄と、あまりに秀逸なデザインに脳を揺さぶられるような衝撃を受けたからです。

7月末、彼女の実装の瞬間に自分は文字通り飛び上がるほどに歓喜しました。喜び、叫び、感謝しました。実装に踏み切ってくださった運営の方々に。

彼女をここに連れてきてくださったTAKOLEGS先生に。

先生の参加表明を見た時に、決意は固まりました。ならばあとは進むのみ。



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記念すべき100回目のコミックマーケットは、世界中を襲ったウイルスの猛威に対して最大限の注意と、多くの感染対策を講じていました。

そのひとつが事前チケット制。

入場者数を運営が把握、管理できるよう事前に抽選で配布したチケットをいくつかのブロックに分け、段階的に入場させる。参加者の間隔を空けつつ、人数を絞る上で最も効果的な策と言えます。一方で、参加者からすれば従来の「ふらっとコミケ行ってみたいな〜」的な気軽なスタイルはまず不可能となります。

つまり、自分が先生のサークルへ向かうには、

・チケットを当てる

・なるべく早い時間のブロックに配置され、最速で先生のサークルへ向かう

・そもそも問題なくコミケが開催される

・先生が無事参加できるようお祈りする

・自分が感染しないよう気を付ける(ここが一番大切)

という最低でも5つのハードルを越える必要がありました。そしてこれらのほとんどは基本的に祈るしかない運要素の強いものとなるため、参加を決意してからの数ヶ月間、自分の胃は常にキリキリ状態でした。心臓もキュってなりました。

 

そうして意思を固めてから数ヶ月。

あっという間に時は過ぎ、8月14日、コミケ2日目当日。自分は、

 

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きてました!コミケに!!!!

空が青い。空が高い。絶好のコミケ日和です。

数ヶ月にわたる不安から解放されようとしている自分の心模様を象徴するように、コミケの空は少しの曇天はありつつも希望的な陽の光に満ちていました。

道中わずかに雨に打たれたり、というかそもそも前日の1日目は台風直撃で凄まじい大雨にみまわれたビッグサイトも、2日目の朝にはなんとか天候を持ち直し、夏真っ盛りと言わんばかりに晴れ渡っていました。

 

ここに至るまで多くの困難がありました。

チケットはアーリーと呼ばれる高倍率の最速組ではなく、それより入場時間は遅くなるものの当選確率が幾分か高い午前の部を選択。

運良くその中から、最も早く、アーリー組に次いで入場できるC枠を獲得(正直ここが一番成否を分けたポイントだと思います)。

コミケは問題なく開催され、先生も体調を崩されることなく無事に参加、何より自分自身も、感染者が急増する東京の街を何とか生き抜くことができたのでした。

ここまで多くのものを積み重ねてきた。慎重に、決して取りこぼさないよう生きてきた。

何がなんでも先生の御本を手に入れる。

朝早く、炎天下の待機列に並ぶ自分の胸には強い決意がありました。

 

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周りを見渡せばそこには自分と立場を同じくする、数えきれないほど多くの参加者の姿が。

歴戦のオーラを纏う方や初々しい雰囲気の方。隣に目を向ければ事前に印刷された会場の地図に、恐らく優先度順に色分けされたペンで入念にサークルのチェックを行う猛者が。黙々と時間が過ぎるのを待つ者、現在開催中のFGOの水着イベントを進める者。まさに十人十色です。

自分が待機した東組は主にFGOをはじめとする型月関連のサークルが集中するエリア。今年は産みの親、型月そのものが出展するとあって、購買組の熱は必然的に、そこを中心とした大手のサークルへと注がれていました。

この膨大な列の中にTAKOLEGS先生のサークルへ向かう人達が潜んでいる。そう思うとヒリつくような緊張感と、同じ思いでここに到達した同志の存在に高鳴る気持ちが胸の内で混ざり合いました。

そうして10時半、コミケ開幕。

続々と会場内へ向かうアーリー組を見ながら、その時がくるのを今か今かと待ちます。

午前組の入場はアーリーから30分ほど遅れた11時から。午前最速の枠に配置されたとはいえ、印刷数がサークルさんごとに違い、かつその数が購買組には分からないコミケにおいて、30分の差はとても大きいです。

過去の記録を見ると、TAKOLEGS先生の御本は開場から1時間ほどで完売してしまうことが多いようでした。だとすれば、自分に与えられた時間は11時から11時半までの実質30分。何度も会場の地図を確認し、入場口から先生のスペースへのルートを頭の中で組み立てます。

 

30分後、いよいよ動き出す午前組の列。

逸る気持ちを抑えながら、係員の方の指示に従い、着実に前に進んでいきます。少しずつ近づいてくる、4年ぶりに訪れるビッグサイト。巨大な会場に呑み込まれるように足を踏み入れると、そこには壁一枚を隔てて、外とは全く別の世界が広がっていました。

 

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溢れる人。賑やかな声。行き交う人々の足音。

高揚感と焦燥と、期待に溢れた空気があまりに広大な空間の隅々にまで伝わっていました。

どこを見てもひと、ひと、人。その誰もが一様に自分が手にしたいもののために目を輝かせながら、一目散にそれぞれの目的地へと歩みを進めています。歩いて歩いて、時折立ち止まりそうになりながらも進んで。そんな希望のような光景が目の前に広がっていました。

ああ、楽しい。やっぱり楽しい。かえってきたんだ。またここに来れたんだ。

 

コロナ禍で多くのものが制限され、心が抑圧され、誰もが辛い思いを強いられた2年間。

それでも、“たのしいこと”は今も絶やされることなく続いていた。皆が踏ん張り、頑張った2年間の成果はここにあった。

グッときました。そりゃあグッときましたとも。

けれど感傷に浸るのはひとまず後にします。ここにきた目的、その全てを果たせる瞬間が目前にまで迫っているのですから。横目に映る同人誌の数々に後ろ髪を引かれながらもなんとか目的の場所へ。入場口からはおよそ反対にある東4の壁側へ向かいます。

 

多くの誘導を受け、多くの障害をこえ。

そうして歩いて、歩いた先で。

 

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自分はようやく、念願を果たすことができたのでした。

 

コミケに参加する前、自分はTAKOLEGS先生の御本を手にすることともうひとつ、ある目標を立てていました。

ーー先生に、直接お礼を言うこと。

徐福という少女に命を吹き込んでくださった恩人に、自分の口から感謝を伝えること。

それがこの数ヶ月、自分を動かしてきたたったひとつの原動力でした。そのためだけに、自分は遠路はるばるここまでやってきたのでした。

 

ウイルス対策の観点や、他のお客さんのことを考えれば、お話できる時間は殆どありません。

だから一瞬。売り子の方に「先生はどちらにいらっしゃいますか」と尋ね、その隣でお客さんに対応されていた先生がこちらを向かれたとき、自分はずっと秘めていた言葉を、ようやく伝えることができました。

 

ーー徐福ちゃんを生み出してくださって、ありがとうございました。

 

それは、2年分の思いを込めた言葉でした。

たったひとことでも、自分にとって何より価値ある言葉でした。

 

わずかな空白の後。

その意味を理解してくださったのか、先生はお忙しい中にあっても、こちらに対して一言、「ありがとうございます」と向き合ってくださいました。

本当に一瞬。時間にして5秒もないやりとり。先生にとって長く、激動の一日の中で恐らくどこかに消えてしまうほどに些細なひととき。

けれど自分にとって、それは永遠にも思える時間でした。

2年分の思いが実を結んだ、長く、かけがえのない5秒間でした。

 

 

その後のことは、正直よくあまり覚えてないのです。

いや、覚えてるんですよ。あれやこれや。

東館を横断するほどに長く続いた竹箒の列に記念で並んでみたり、「今なら運気が高まってるかもしれない」と竹箒列の中でFGOのガチャを引いてみるも特に何も起こらなかったり。

先生の御本が盗まれていないか誇張抜きで一日で30回はトートバッグの中を確認したり、オベロン本の列を高速で捌かれるマフィア梶田さんの姿を遠目に見て惚れそうになったり。

ほぼ素っ裸みたいなレイヤーさんがいて「流石コミケだ……(?)」と謎の納得をしたり、コミケ慣れしてないせいで東館と西館を何故か無駄に3往復くらいしちゃったり。

サンダルで3往復もしちゃったせいで踵に水膨れ、足の甲には「お前殴られたんか」みたいな日焼け跡ができて、足を引きずりながら帰る羽目になったり。あとで確認してみたら一日で2万5千歩進んでたり。

あれやこれや、色々あったのです。

こうして羅列してみるとあれ、結構覚えてるな。

 

でもやっぱり、自分にとってはTAKOLEGS先生のサークルに行けた。本を買って、直接お礼が言えたあの瞬間に全ての本懐は果たされたような気もして。あとの自分はーーそれはこれを書いている今も含めて、どこか、抜け殻のようでもあるのです。

初めて知りました。人間って目標を達成するとこんなにも萎んでしまうものなのですね。

 

自分は昔からあまり人より要領がいい方ではなく、計画通りに物事を進めるのが苦手な人間でした。

だからこそいま、2年分の気持ち、果たしたかったこと、決して手が届かないだろうと思っていたものにようやく着地したことで、次の目的地を見失っているような感覚があります。

時間はそんなことお構いなしに進んでいくのに。無慈悲に不条理に、また明日はやってくるというのに。

こんなことじゃダメですね。せっかく夢を叶えられたのにこんなところであっさり燃え尽きては、先生にも徐福にも申し訳が立たないです。

心機一転頑張らねば、と思いつつ、結局立ち上がるきっかけをどこかに求めている自分がいるのも確かで。このあたりは、すぐにでも戻していくべきものなのだと思います。

 

ーーそういえばもうひとつ。4年ぶりのコミケに参加して、思ったことがありました。

 

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それは会場で。

あの日一日、自らの欲しいものに一目散でありながら、少なくとも自分の観測できる範囲に、“我先にと走っている人”はいませんでした。

あれだけ多くの人が行き交っていたというのに。何万人もの群衆が目的のために進んでいたのに。早歩きは保ちつつ、決して、それ以上のスピードを出すことはありませんでした。誰もが規則の中で、正当に自分の夢を叶えようとしていました。

またある時は、前だけを見て進む中で、向かいから来た人と肩が触れ合ってしまう瞬間。

通常、道端でそういうことがあると何回かに一回、「自分だけが謝り相手は知らぬ顔」ということがあったりします。仕方のないことと受け入れつつ、それはどこか寂しいことのようにも思えて。

けれど、コミケで肩と肩が触れ合った時、相手の方を振り返ると、その時必ず、相手もこちらを向いていました。

互いに謝ることができました。

それは当たり前のようで、けれどきっと、当たり前のことではないのです。

どれだけ視線が前を向いていても。各々が自身の目的を一心に見据えていても。根底に人を気遣う気持ちがなければ、欲しいものを手に入れる権利などあるはずもないのです。

 

ある時は、ある時は、ある時は。

思えば、あの日はそんなことばかりでした。

みなが笑い、幸福である中で、その笑顔を一番根底から支えていたのは、そんなまっすぐな人の善意なのだと思いました。

善性。良心。コミケは、同人誌即売会はーー人の集まる場所とは、そういう理念を全員が共有することで初めて成功に導かれるのだと思いました。

2日間の総来場者数、17万人。それらの人数がひとつの意志のもとに統一されていたことに、自分は、深い感動を覚えました。

 

……以前、アニメや漫画の文化に一切触れてこなかった母親に「ファンとオタクの違いってなに?」と聞かれたことがあります。

自分は母に聞かれる以前から、それについて自問自答を繰り返し、そうしてその果てに、ひとつの答えを持っていました。

オタクとは多分、「自分の好きなものがたとえ全世界の人から嫌われようともそれを好きになるサガを背負った人」の総称なのです。

 

たとえ気持ち悪いと言われても。

たとえ見下されても。

たとえ、そんなものは将来の何の役にも立たないと切り捨てられようとも。

自分の気持ちは裏切れない。自分の「好き」は捨てられない。自分の本音を世界で一番分かってあげられるのは、自分なのだから。だからオタクは、今日も世界から嫌われるものを好きと言うのだと。

それらを踏まえて、アニメや漫画の文化に触れてこなかった母親に分かりやすく伝えようとしたとき。自分はしばらく悩んだ後、こう言いました。

 

「オタクは多分、誰よりも純粋で、誰よりもばかなんだよ」

 

母はそれでなんとなく、分かってくれたようでした。

オタクは純粋なのです。

そして多分ばかなのです。

そもそも炎天下の中、一般的な漫画と同じかそれ以上の値段で、厚さはその十分の一くらいしかない本を買いに遠路はるばる訪れる集団がもう既にやばいのです。

暑いし、クタクタになるし、交通費も入場費もかかるし待ち時間は長いし。

全くもって非合理的です。コスパは最悪です。それならそのお金で美味しいものでも食べた方がいいと、周囲の誰もが言うでしょう。

 

だけどそれがどうした。

ばかで何が悪い。

どうせ生きるのなら、馬鹿馬鹿しく生きた方が楽しいに決まってる。

なにしろ、オタクは馬鹿にされるのには慣れっこなのですから。

 

それを思った時、自分は、やっぱりここに来られてよかったなぁ、と思うのでした。

ここには、コミケには。世界一マナーを守る立派なばかが大勢いるのですから。こんなに楽しい場所はありません。どこを見ても誰と話しても、純粋で真っ直ぐな人間ばっかり。

最高にハッピーで、夢のような場所じゃありませんか。

 

コミケを後にする時。

自分の中には「ここを去りたくない」という気持ちばかりがありました。この人たちに会えないのが寂しい。腕に巻いた入場証を外すのがさびしい。もっとずっと、ここにいたい。

でも多分、またすぐに会えるのです。

会いたいと思えば、会いに行こうと思えば。

多分それはどこにでも、案外すぐ近くにもあるもので。

少なくとも4ヶ月後には、またこの場所で会える機会は整っているのですから。

あとはぜんぶ、自分次第。

 

そこまで考えてふと、「なんだ。目標あったじゃん」と気付くのでした。

次の再会がいつになるかは分かりませんが、どうせそう遠くないうちに、自分はまた彼らに会いに行くのだと思います。

次の夢を果たしに。

またばかになるために。

 

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そうしてまた、楽しい日々がやってくるのです。