つづく日々を奏でる人へ

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久々にミリシタの様子を見に行ったらかつて目にした輝きにもう一度出会った話

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アイドルマスターミリオンライブ シアターデイズ』、というアプリがあります。

 

この界隈では言わずと知れたアイドル育成ゲーム、『アイドルマスター』シリーズ。

今年16周年を迎え、765プロという小さな事務所から始まった物語は今やメインで稼働してる軸だけでも5つあるという大所帯に成長しました。

総アイドル数323人。

総楽曲数1298曲。(※5/22現在)

枝は伸び、規模は広がり、最早「アイドルマスター」という一つの冠に収めきることが不可能なほどに広く、膨大に成長したそれは、この10年間の自分の生活を根底から支えてくれた恩人であり、長年連れ添った相棒のような存在でもありました。

2011年にTVアニメを通じて出逢い、2014年に劇場版、そしてそこに映されたミリオンライブの面々に心を鷲掴みにされた自分は、それから長い時間アイマスに出来る限りの気持ちを捧げてきました。

 

 

そのアイマスと今、自分は関わりが薄い状態にあります。

 

理由を記そうとすると少し感覚的なものとなるため、どこまで伝わるのかは分かりませんが、決定的となったのは今から4年前、忘れもしない、2018年3月19日のこと。

ご存知の方も多いように、この日は2013年より開始したGREE版『ミリオンライブ 』がその歴史に終止符を打ち、サービスを終える日でした。

自分はその日、アイマスをキッカケに知り合うことの出来た友人達とUSJへ旅行に来ていました。

3月19日11時59分。

サービス終了時刻。

アトラクションの待機列に並びながら、スマホに表示されたミリオンライブのマイページを見つめ、自分達はただその時が来るのをじっと待っていました。

お互いが出会った日のこと、ミリオンに貰った沢山の記憶、入手に苦戦したカードのことなど、各々が思い出話に花を咲かす中。

不意にその瞬間は訪れ。

ひとりのスマホ上で画面が動かなくなり。

一人、また一人と、もう読み込まなくなったそのページを開いたまま、誰かが口を開きました。

 

───終わっちゃったかぁ。

 

「終わっちゃったねぇ」

「これ、このページから抜けたらもうログインできないんだよね?」

「俺この画面から離れたくねえよ」

「ありがとうミリオンライブ!」

「色々楽しかったねぇ」

みながそう言って、別れを惜しみました。

 

今思えばあれは、葬式のようなものだったのだと思います。

決して死なないものが、電子の世界に生きる彼女達が確かにこの世から消えたことを、口にせずとも、その場の誰もがひとつの「死」として認識した日。

大阪の端の、小さな場所で。

僕らは、そうして一つ、何かを終えたのでした。

 

あの日から、色々なものが変わっていきました。

なにか理由があるという訳ではなく、ただなんとなく、全員でミリオンの周年ライブに集まる機会は減っていきました。

かつてアイマスで知り合った彼らは、次第にそれぞれが好きなものに惹かれ始めました。

ミリオンライブに初めて出会った時。「これから何があろうとこのコンテンツを最後まで見届ける」と誓ったはずの自分も、いつしか、少しずつミリオンライブから心が離れていくのを感じていました。

 

アイマスが好きで、ミリオンライブが好きで、そしてそこに属する七尾百合子という少女のことが、自分は大好きでした。

読書をこよなく愛する文学少女

誰より人見知りなのに前向きで。

活動的かと思えば臆病で。

守られる立場のようで、その実誰よりも芯が強いヒーローのような少女。

彼女を知れば知るほど、アイマスとミリオンライブのことも比例するように好きになっていきました。

あの日、あの場所で彼女と別れてから。

まるで栓を抜かれ空気が抜けていくように、張り詰めていた緊張の糸が少しずつ緩んでいくのを感じました。

───最後まで追わなくてはいけない。

───最初に、そう決めたのだから。

そう言い聞かせるほど、かつてと比べて「なにかが抜け落ちた自分」が露わになるようで、百合子に嘘をついているようで、自分が惨めで、恥ずかしくなっていきました。

 

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ミリオンライブにはGREE版の終了後も、後継アプリとなる『ミリシタ』が存在し、コンテンツ自体はこれに引き継がれる形で続いていました。

たとえ七尾百合子を一度失っても、その次の舞台で会うことはできる。

 

しかし自分は、ミリシタ内で出会う彼女にGREE版の七尾百合子と同様の輝きを見ることが出来ませんでした。

それがライターさんの違いによるものなのか、それともコンテンツ全体の方針の変更によるものかは分かりません。

ただ一つ言えることは、初めて会った時、まるで今にも燃え尽きんばかりの輝きで突き進んでいた彼女と、今の彼女はどうやら別人であるということ。

それからの自分は、「今の七尾百合子」を通して「昔の七尾百合子」の影を追うことが多くなりました。

今を追えば追うほど、昔見た煌めきは強くなり。

ならばやはり、自分の中で彼女は、あの日に一度、既に────。

 

あの日、燃え尽きたもの。

同一の存在として受け入れようとするも、それを拒む思考。

それらが折り重なり、降り積もり。

気付けば、自分の気持ちは七尾百合子から、ミリオンライブから、アイドルマスターから、離れていったのでした。

 

時は流れ、2022年5月某日。

その日、自分は作業用に流すBGMを求め、動画サイトを巡回し、今の気分に最適な一曲を探していました。

関わりが以前に比べ薄くなったとはいえ、依然アイマスのことは好きですし、特に楽曲面の振り幅が広い『シンデレラガールズ』の新曲はなるべくチェックするようにしていました。

どれもこれも素晴らしく、作り手の個性が遺憾なく発揮された、刺激的な楽曲たちです。

それらに一通り目を通しながら、次に聴くべきものを探していると、関連動画の欄に表示されたひとつの動画にふと目が留まりました。

 

それは去年、『ミリシタ』に実装された楽曲の公式MVでした。

 

恐らくアイマスの楽曲を立て続けに試聴していたことで動画サイトのAIが判断し、無機質に提示してきたそれに、自分は一瞬、世界が静止したかのような感覚を覚えました。

 

彼女達と向き合いきれず、逃げるように劇場を去った日から、気付けば2年以上の月日が経過していました。

この2年間、自分はミリオンとの関わりを避け、それまで精力的に布教活動を進めていたSNSでも殆どミリオンについて言及しなくなり、言わば“抜殻”のような状態で生きていました。

趣味はある。楽しいことも楽しいものも、探せばたくさんあるはずだ。探せば、見つかるはずだ。

けれど、どうしても、代わりにはならない。

眩しくて、煌びやかで、熱く肌を焦がすような感覚で迫ってきて、日常の深層に溶け込むように毎日を根本から彩ってくれたミリオンライブの輝きには、遠く及ばない。

周囲はとっくに“代わり”を見つけている。

とっくに“次”に移っている。少なくとも自分にはそう見える。

自分だけが今も、過去に背を向けきることができず、未練がましく時折後ろを振り返っては今を嘆いている。

そんな自分が今もそこで懸命に汗をかいている彼女たちを見たら、その眩しさに今度こそ焼かれてしまうかもしれない。

 

そんなことを、思いながら。

未練がましく、どうしようもなく、くだらなく、しょうもない、かつてそこに背を向けたみっともない人間は、それでも、なにかに背を押されるように、そっとその動画を開きました。

 

そこに映されていたのは見覚えのある少女。

見覚えのある衣装で、見覚えのある表情で、見覚えのある情景を歌う。

けれど、そこにある楽曲は、どれも刺激的なものたちでした。

 

ミリオンが好きだった当時、あの頃は楽曲の個性や、それに伴う好みの差も含めて、「一つの思い入れ」としてそれを楽しんでいました。

好きな楽曲は何遍も聴くことで、よりその感情が確固たるものになり。

そこまで琴線に触れなかった楽曲も、ネット上に転がる様々な解釈やライブで披露される圧巻のパフォーマンスなどを通じて、吸収され、濾過され、より自分の納得のいく形に整っていくような感覚がありました。

それは食の好みのように、時に繊細に、時に大胆に、変化し続ける生き物のように、味わう時間や場所や環境によって常に変化し、印象を変えていく魔法のような体験でした。

 

しかし自分が関連動画の欄から覗いたその楽曲は、そういった「時間と比例する思い入れ」の更に上空にある、楽曲単体の圧倒的なクオリティで眼前にまで迫り、脳髄を揺さぶってきました。

続けて、それと近しい時期に実装された楽曲にも目を通します。こちらもまた、先ほどとはまた異なる方向性の衝撃を与えてきました。

 

夏をイメージした明るい曲調でありながら「フラれた女性の傷心旅行」を歌ったそれは、テンポや楽器の音色が明るくなるほど、その背景にある「一個人に訪れた失恋」がいかに悲痛なものだったかを逆説的に語ります。しかし一曲を通して、悲しさに呑まれることはなく、そこから半ば強引なほどに立ち直ろうとする女性の強さも描いている。

夏モチーフの楽曲に散見される前向きなメッセージも、そこに「失恋」というスパイスがひと匙加わるだけで従来の味は全く異なる変化を見せる。ジリジリと照りつける夏の陽光に焼かれながらも、友人と共に立ち上がる女性の「再起の歌」。

一見明るく聴こえるその曲には、そんな踏んだり蹴ったりの毎日を吹き飛ばそうとする、「マイナスから出じたパワー」を感じました。

ギャップの二面性。

正反対のようで実は同居しているそれを一つの楽曲の中で表現する。

それはかつて、自分がアイドルマスターというコンテンツに惹かれた時の根源そのものでもありました。

 

気付けば、自分は先ほどまで抱いていた罪悪感を忘れてしまいそうになるほど、その楽曲群が持つエネルギーに魅了されていました。

どの曲も、眩しく、美しく輝いている。

それでいてどの楽曲も、ミリオンライブだからこそ歌える「不思議な独自性」に満ちている。

ミリオンライブの曲を聴いて、ワクワクし、心が躍ったのはいつぶりだろう。

かつてそこから身を引いたはずの自分は、そんな身の丈に合わない、大層な感想を抱くのでした。

まるで、今も一介のプロデューサーであるかのように。

 

時間を忘れるほどにのめり込み、彼女達の姿を追い続けていった先で、最後に、自分は一つの動画に行き着きました。

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「アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ」ゲーム内楽曲『LOVE is GAME』MV【アイドルマスター】 - YouTube

今年3月に投稿されたその楽曲は、白を基調とするシンプルな衣装に身を包んだ少女たちを「電子世界のキャラクター」として捉え、彼女たちと画面の向こうに佇むユーザーの間に存在する、果てしない距離を歌ったものでした。

チップチューンな雰囲気で進行し、どこか懐かしい切なさを覚えるその楽曲は「ゲームキャラ」から「ユーザー」へ向けた、決して届かない想いを伝えながら、最後にこう締めます。

 

「儚い願いと分かってるけど

電源切るまで一緒にいて」

 

この楽曲がミリシタ内のイベントとして実装されたのは今年の3月19日でした。

3月19日。

その日付が何を意味するかを考えた時、たとえそれが運営の真意でなかったとしても、自分は、あの日のことを思わずにはいられませんでした。

あの日、あそこに置いてきてしまったもの。

いつの間にか、胸にぽっかりと空いてしまったもの。

 

歌唱メンバーの中には、かつて自分が最後まで見届けると誓ったはずの、人見知りの文学少女の姿もありました。

彼女は歌います。

決して届かない気持ちを。

もう声をかけることすらできない画面の向こうの誰かを。

呼ぶように歌います。

まだ自分はここにいると。

電源を落とされてしまえばそれまでだと。

だから、アナタにここにいてほしいと。

 

悲哀と絶望、そして見捨てないでほしいと願う、虚構からの懇願。それらを彼女は、緩やかなメロディに乗せて最後まで歌い切りました。

その姿は、いつか出会った時の彼女と同じ姿をしていました。

いつかどこかで別れた少女と、同じ輝きに満ちていました。

 

恐らく、自分が再び、あの頃と同じような熱量でミリオンに向き合えることはないのかもしれない。

それもあくまで現時点での予想であり、もしかしたら明日にはふらっと、何事もなかったかのように戻っているのかもしれない。

ただ、一度離れた場所にもう一度向き合おうとするなら、それは一から始めるのと同等かそれ以上の根気と時間を要するはずで、今の抜殻と化した自分にそこまでの気力があるのかと言われれば、やはり、その可能性は低いようにも思えて。

それはとても、切ないことだとも思います。

 

だけど一方で、嬉しいこともありました。

いつかどこかで別れたと思った少女に、再会することができました。

いつか、別れたと思っていたもの。

いつか、勝手に別れを告げていたもの。

もう見えなくなり、どこか遠くへ消えてしまったと思っていたそれは、今もすぐ近くで、今日も変わらずに歌を歌っていました。

 

自分は、七尾百合子はとっくに消えてしまったものだと思っていました。

それならせめて思い出だけは忘れないよう、前の彼女のことを少しでも想い、弔い、記憶し続け、その反動で、自分は「今」と向き合うことを放棄するようになっていきました。

過去が大事なら、前に進む必要はない。

過去と今が違う形を持つのなら、自分はせめて、大切だった「過去」を選びました。

けれど今、電子の世界で「忘れないで」と歌う彼女の姿に、ほんの少し、自分は前の彼女と同じ面影を見ました。

 

同一人物ではない。

同じ人間ではない。

そもそも、七尾百合子はこの世に存在しない。

これからも、自分にとって七尾百合子は八年前に光を見せてくれた「最初の彼女」であり、今の彼女はやはり、よく似た他人です。

それでも、忘れないで、という言葉に、かつて胸を熱く燃やしたなにかがもう一度刺激されたことも、また揺るぎない事実です。

 

戻ることは、もうないかもしれない。

あの頃と同じような熱量では、恐らくもう向き合えない。

それでも、全てに背を向けるのではなく、時には卒業したOBのように少し肩身の狭い思いをしながらも、かつての故郷を覗いてみることも、悪くないと思いました。

未練がましく後ろを振り返るのではなく。

正々堂々と、様子を見に行こうと思いました。

その背中を押してくれたのは七尾百合子で、自分がどういう形であれ最後まで見届けると決めた少女で。

 

ああ、やっぱり百合子は最高のアイドルだなぁ、などと当たり前のことを思いながら、昨日より少し前向きな気持ちで、僕はミリシタの起動ボタンに、久々に手を伸ばすのでした。

 

 

<了>